後始末って誰かがやってる
「楽しいことだけ、好きなことだけ、そういう絵をほんとうは自分だって描きたい。」
って、黒田さんがおっしゃっていたのが印象的でした。
確かにね。結局後片付けって、知らないところで誰かがやってくれてるんですよね。
聖書の中に、マルタとマリヤという姉妹のおはなしがあります。※急に?
イエス様が姉妹のおうちにはるばるやってきます。
妹のマリヤは熱心にイエス様のおはなしに聞き入ります。
一方姉マルタは、客人であるイエス様のお食事や身の回りのお世話など、忙しくしています。
と、こういうはなしがあるのですが、※宗教勧誘ではありません
なんというはなしではないのですが、わたしはけっこうこのはなしが好きで、よくこの場面を普段の暮らしでも当てはめてしまうのですが、
その時一番正しい行動とは何か、二人の姉妹は全く違う行動をしているんですね。
妹はおはなしを聞く、
姉は客人のおもてなし。
姉は妹に、あんたも手伝いなさいと言いますが、イエス様は
「今一番正しいことは、わたしのはなしを聞くことだ」
と言います。
こういうことって、凄いよくある。
確かに、それをやることが今は一番いいのかもしれないけど、でもわたしが今これをやらなければどうなるの?
誰がやるの?みたいな。
じゃあいいのね?はなし聞いてていいのね?
床泥だらけで今掃除しなきゃ大変なことになるけどいいのね?
食事の準備も何もしてないから食事遅くなるけどいいのね?
制服脱ぎっぱで皺になるけどいいのね?
洗濯できないから明日のパンツないけどいいのね?
片づけできないからG来るけどいいのね?
例えば母ちゃん的発想だとこんな感じになるかと。
それよりも、今大事なことは、なんだと。
そんなん後でいいから今これ大事だよって。
でも結局誰かがやってくれるんですよね、自分がそうしている間に。
結局お母さんとかが。
みんながみんな、正しいことをやってる、でもみんながみんな、正しいことをやったら秩序は崩壊するかもしれない。
でも崩壊しないのは、みんながみんな、微妙な感覚でそれぞれが「正しい」と思うことをやってくれているから。
妹ははなしを聞くのが正しいと思ってやった。
姉はおもてなしが正しいと思ってやった。
だからその場がうまくいくんだよね、きっと。
それを「わたしもやってるんだからあなたもやってよ」って言ったらだめなのかも。
多分相手の人も、正しいことをやってるから。その人の思う。
「それはあなたがやることで、わたしがやることではない。」ってもし言われたら終わりだし、
そう言う権利っていうか、そう言うことは悪いことじゃないとは思うし、
そうして割り振った方がスムーズに物事が進んだり、無駄のない動きができると思います。
出来る人がやるのと、今この瞬間一番やるべきことをやる。
でもその時に、あの人が正しいことをやってくれているからわたしはわたしが思う正しいことが出来るんだと、
てかこの理論だと聖書のはなしに真っ向から対立するかたちになりますね。
でも、だから秩序が保てているんだと思います。
要するに何が言いたかったのかというと、
母ちゃんは秩序。
あやべ、本の紹介なんにもしてないや。
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