尚もBUは許されない

真剣に取り組もうぞ。

国会とかで議題にされてもいいレベル。なんならWHOとかに持ってってもいいし。

 

よおし、じゃあわたしがやりますよ(`・ω・´)エヘンエヘン‼

 

 

赤ん坊や動物のみに許された、

・・・いや、人間の大人にのみ許されないこのテーマ。

なぜ大人のでぶは許されない?

理由はいろいろあると思いますが、※特に日本は外見を気にしすぎってのがある

そもそも「美」とは?「醜」とは?
なにをもってして判断してるの?という極論に至るわけですけれども、
例えば「可愛い」でいうと、生物学とかやってた人なら知ってるかと思われますが、赤ちゃんが可愛いのは何故なのか、というあのー、ベビー・・なんちゃらっていう・・・。あのあれですね。※どれやねん

 

小さな体、丸い顔に丸い大きな目、小さな鼻と口。
柔らかい、もふもふ、つるつる。
はかない、か弱い、のろま、ドジ。
形態、触感、動作や性格が、赤ちゃんっぽいのが「可愛い」とされる定義。

なので、生物の赤ちゃんは人間から見て「可愛い」という定義に収まっている。

見た目の可愛さだけでなく、幼い、弱い、といった性質は、そもそも生物の本能として護るべき対象になるんですね。

可愛いのとさらに、手を差し伸べたくなる存在。


人間以外の生物も、「この子可愛いなー」という感情は多分無いにしても、赤ちゃんを保護が必要な者、護るべき子孫として見ているんでしょうね。 

種の繁栄、存続の第一条件は「大人になること」。
子供のうちに死なないことが最も重要なので、か弱く、可愛くあれば子供は必然的に親に守られるという性質を備えている。
※それとこれとはあんま関係ないかもだけど。無条件で子供は守られますよね。

ただそれが人間の場合になると、保護欲とか擁護欲に繋がったり、
あとは赤ちゃんに触れることであたたかい気持ちになったり、幸せな気持ちになったりなど、一種の満足感を得られるんですよね、きっと。

んー・・・。根源的な、根本的な理由は分かりませんが多分本能。
種の存続という本能。※もう本能で片づけだす

 

さらに、赤子の「可愛い」が適用されるのがイラストとか、キャラクター。

キティちゃんとかトトロとか、ミニオンズとかふなっしーとか。※チョイスな。

彼らは赤ちゃんじゃないけれど、「可愛い」とされていますよね。
ベビーなんちゃらに当てはまっていますよね。形態、触感、動作が。

なのでこれらも、見て、感じて、触って、プラスの感情を与えてくれる。

 

心地よいとか、幸せとか、happyな世界になりますよね、それぞれ好みはあるにせよ。

 

人間が「美しい」と感じる時と、その反対の「奇怪」だと感じる時って、
※奇怪でも異様でもなんでも
脳の働きは同じようなアクションを起こすんですって。
「美」でも「醜」でも同じように衝撃的。

さらに美と醜は表裏一体という性質も持ち合わせているし、混ざり合ってもいたりする。それぞれ独立しているという考え方もある。

美があるからこその醜とか、純粋な美、醜とか、時には美だったものが時代や環境の変化によって醜に変わったりもする。
遠くでみたら美だけど近づくと醜とか。

 

例えば芸術家なんかはうまくそこを突いて、観客をあっと言わす作品を作り上げる。
全体的な美の中に一瞬だけ醜を匂わせると観客はその微妙な違和感に引き込まれて、ただ美しいものよりもその違和感に注意を向ける。

そう考えると美人は3日で飽きると言うのは理にかなっているのかもしれませんね。

 

ベートーヴェンの運命交響曲が、ずっと最後まであのジャジャジャジャーンの暗い空気のまま続いたら。暗い重い音楽。美と醜でいったら醜の方。
最終楽章の歓喜の扉が開かれるからこそ、運命に打ち勝つ美を感じるからこそ、聴衆は感動するし、評価する。
だけどその美を感じるのは最初の醜があってこそ。
その絶妙な織り交ぜが、「衝撃的な美」として出現するわけですね。

ダヴィンチの絵画を初めて見る時の衝撃と、毎日毎日、死ぬまで眺め続けるその感情は多分違うものになってくるし、
それは同じように美しいとは感じるけれども、例えばそこに急にゲルニカが現れたら?
ゲルニカはちょっとテーマがあれですが、例えばね。なんでもいいです。

多分すぐには受け入れられないですよね。
今まで自分が美としてきたものとは明らかに違います。

だけどそれが、背景に隠された作家の意図だったり、時代の流行だったり、さらには評論家やインフルエンサーが「イイッ!」と言っていたり。
そういう様々な要素で判断して、美や醜の基準は変わります。すぐに!!

いつだったか、与沢翼さんが
「人の気持ちは一瞬で変わる」
と言っていましたが、それはプライドとか、価値観とか、そういうことも含めて。
「人と違うことを受け入れる。みんなと一緒じゃなくていいんだよ。」
って。人は流される生き物だからこその言葉だと思うんですよね。

 

 

 

 

そこで満を持して人間の大人のでぶ、登場。

 

 

 

 

即、退場。

 

 

 

 

もうもうもう恥ずかしいもん。
なぜキティちゃんと同じ土俵に上がった?かろうじてベイマックスぞ?
こんにちは、あなたの健康を守りますっていうか、己の身体見直すことからまずな?

 

でもね、大和撫子見てご覧なさいよ。楊貴妃見てご覧なさいよ。ふくよかもふくよか。
巡り巡ってくるんだって。

例えばキモ可愛いなんて言葉だって、わたしが生まれた時は無かったと思います。

今は、痩せてて顔の小さい、手足の長い身体が理想とされてる。 

だけど江戸時代に行ってもそれが通用すると思う?逆に10年後、それが良しとされてると思う?

 

「いや、わたしたち今を生きてるから。」

結局ね。これですわ。この禁句ワードぶち込まれたら終わりですわ。
ベートーヴェンダヴィンチをもってしても破れたり。

いくら流行だ、時代の流れだ、皆と一緒じゃなくていい!!!!
て言ったって、今この瞬間を生きているんだったら、
でぶ、許されてなくね?

 

 

結論として多分、自分の(世の中の)常識から違う、とか、珍しいとか、

当然だと思っていたものが全然違うものだったとか、

人間はそういった微妙な変化を読み取る力があるから、

自分の、世界の常識が決めたものと違うものに自然と反応を示す。

というか、違うものに敏感に注意を向ける。

からなのではないかと。

 

極論を言ってしまうと、グレイテストショーマンの世界とか、ノートルダムの鐘のカジモドとか。

自分や世の中を常識だと思い込んで、それと違うものに奇怪な目を向ける。

きっと生物の本能としてしょうがない「意識」の部分なんだと思います。

 

が!

わたしたちはヒト。人間だから、それを「偏見」っていうんだって、学んだ。

ユダヤ人だから殺害するとか、白人主義とか、それは違うんだって学んだはず。

 

わたしは自分に自信が無くて、引きこもりだし、女子力とかお洒落とはかけ離れているけれど、

見た目を綺麗にしないと人として終わってるよ、という謎の企業のコマーシャルは胸糞。
というかそんなコマーシャル良しとしてるこの日本社会が胸糞。
きれーーーい☆とかいって咲いた花見ながら足元で枯れた花踏みつぶしてるよそいつ。
かわいいーー♡とかいってうん十万の子犬買って、老犬保健所に連れてってるよ。※偏見すごい

 

みんな同じ顔のみんな同じ身体なら人間じゃなくていいじゃん!!

やったよね道徳の時間に。みんな違ってみんな良いって。

 

中にはそんな胸糞企業に負けない方もいらっしゃるとは思いますが、まーーあ、限られてる。そういうコマーシャルがあるってことはそういうことだもん。

負けない人のように自信を持つことって、並大抵のことでは出来ないし、それが出来れば苦労ないのですが、
それを「美」としている彼らの常識は要するにゲルニカ

偏見、差別、暴力、いじめっ子の言いなりにならない彼らの「美」が、スーパースターとして誕生するんでしょうね。

 

 

最後にとっておきの哲学をみなさまに。

人間こそ本来の意味に於いて個性的なものである
人間こそ原理的に独立的なものである
各々の人間は自己自身の表現である

だれの言葉かは忘れた。爆

 

でもでも、身体のことは大事にしていきましょうね。
座ってばかりでなくストレッチしたり、無駄なものは減らす。お菓子とか、ジュースとか。身体に入れなくていいもの。それはただのゴミ生産者になっちゃうから。

お野菜とかタンパク質を摂って、普通に暮らしていれば自然な自分に合った体型になるんだから。健康的な強い身体なら、それが一番なんだから、痩せていようが太っていようが。それで魅力的ばでぃならばそれでいいの!!

 

 

デザイン学でおススメの本⇩⇩わたしが知りたかった猫は載ってなかった(*_*;
美学とか、歴史とか芸術とか好き人ならおもしろいと思います。

 

 


The Greatest Showman Cast - This Is Me (Official Lyric Video)